ゆもにっき-技術と生活改善と哲学-

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雑記と技術的手順書など

おしゃれ観点の増殖と収束

​見た目に努力値降ってわかること

相手からの評価

こういうこと

おしゃれ視点の邪魔くささ

自意識と他意識が高まり

「おしゃれ」

な観点で人間を見る様にもなれそうである。

もちろん、自分の価値基準ベースではあるが、「」

この人は、流行が真理基準で選んでんだなだとか、ファッション誌が師ですみたいな目線でも選んでんだなとか。

そういうのがわかる。

ポリシーが反映されているのかどうかみたいなのもなんとなくわかりそうなものである。

ちょっとしゃれおつ気取りかどうか、モテを意識しているかどうかがわかる気がした。

言い逃れのための

兄が言うには、チャームやらには意味合いがあるといいらしく、たしかにおしゃれでつけているよりは、まだマシな気がした。

強くなりそうだとか、目に入った瞬間に、○○と思うだとかは最初のうちには合っても良いかもしれないけど、正直無駄だなーと思った。

とはいえ雰囲気の演出には使えるかもしれないし、高級感のコント的演出に使えるのでそういう観点で見たらよいかもしれない。

自信をキャラクター化することでファッションデザインがしやすい

  • お転婆キャラだったとしたら
  • サッカー少年だったら→サッカーのキーホルダーを付ける
  • エリートイケメンのファッション
  • データキャラだから、パソコンずっと持っている

ほめの強要

おしゃれをして自分で楽しんでるんだから、褒められてもだから何と思うくらいが丁度いい気がした。

あなたのために努力しておしゃれしたから褒めてほしい?しらんがなである。

装飾しようがしまいが対して変わらん。

好きな服を着ていけば良いのである。

一体どんな見返りがほしいのであろうか。

とはいえ、やはり趣味に対して傾聴することは面白いことなので、興味を持ってもいいと思った。

とはいえ、某代表の方々が服褒めてたらキモいなって思うから、結局そういう次元のことだよなって感じにはなる。

ほめと不信感

油断させて騙すという要素があるからかなと思った。

  • すごいという発言が合ったとして、何がすごいのか、何をすごいと思ったのかがわからんわけである
  • 所詮感想であるため、本来どうなのかはわからん点
  • プロならまだしも、素人判断で見られてもという辟易

つうわけで、その時感じられた事実の相対を述べるというのがベストということが身にしみた。

自分も気をつけたいと思った

そうすると

バックグラウンドに存在するポリシーによっては、そこまでかっこよくない気がしてくる。

おしゃれするって言っても、なんか普通っぽい感じがして、つまらん印象がすごい出る。

そういうのが見て取れるようになるというわけかと思ってしまった。

何々製だとかなんだとかは、やはり知らんし、だから何?と思ってしまう。

個人的な選択基準

機能性が高く、見た目もよしなら良しなんだろうかね。

この間、古着屋で見つけたパーカーは素材とポケット数、チャックが多い、離脱可能みたいな面で、

サイズ、洗濯耐性、耐摩耗性、コンポーネント化、防寒/熱性、防臭性、重量、ゴミがつきにくい(手入れが楽)をベースに考えて、シルエット、色、使いまわしやすさ、ステルス性能、組み合わせ可能性、TPO性能などがそこに関わってくると思った。

○社の製品が好きがあんまりない現象

  • 何社の製品が好きというのは、その会社のポリシーやなんやらを採用している感覚があるのか?
  • 何者の全般的な傾向のようなものを把握することができる気もする
  • 1つ好きだけど、後は別に好みじゃないみたいに思うことになる

おしゃれとはいったい

  • コストをかけられますアピールができるので、それだけ余裕な雰囲気を醸し出せる効用を得たい人
  • 装飾を楽しみたい人
  • ポリシーの体現

  • 正直みんな、そんな見てないっす。

服系の業界の人か営業か水商売かそれ上がりの人かイケメン()だけじゃないかと思ってしまう。

そういう人たちが意識するといいですよって言っていて真に受けている人がたくさんいる印象。

さてと

全裸だと防御力下がるし寒い。

そして「社会」という便利ツールを使う上で、ちんちんとか色々隠蔽し、効率化である。

人類とこの個体に合わせてやってるんだわい。

となると

「社会」というのは人類のための便利ツールである。

なので、その人の「まずは生存生活」が

はては「人様の生存を脅かさない程度に節度ある楽しいピクニック」

ができれば大満足プリンというわけであろう。

食うためっていう変換はおかしいなと言う感覚

基本的に趣味でやっている感覚でしか無いので、別に食えなくなったところで「別にいいや」となるのである。

手段がたくさんあるのに、それを失ったらもうだめみたいな発想を盲目的に認めているような気がしてしまうので、

食い扶持がなくなる的な考え方は好きじゃないなと思った。

儲かってなんぼ???

家族がいるのでたくさん設ける必要が出るって感じになるけど、それも別にいいやと思った。

潤沢な資産があったほうがマシだが、別になくてもいい。

子供に貧乏な生活をさせている感→何がしたい?

多分やっちゃったらできちゃったというレベルで良いと思った。

もちろん計画云々予想できた云々はあるけど、社会のせいとも言えるのでなんとも言えん部分がある。

この辺も単なる風潮だったり思想だったりするよなぁと改めて思った。

何かしら実質的に役立っている気が下からやっているえど