happiness (^_^) (^_^) (^_^) (^_^) (^_^) (^_^) (^_^) (^_^) (^_^) (^_^) (^_^) (^_^) happiness

甘えと意味の歪み

概要

人によって定義や印象が違うのはもちろんで、そもそも多義語っていうわけで、色々意味はある。

「甘え」という言葉に関しては、事前の「自分の感情や考え方」が結構影響しそうに思った。

個人的には言葉に対してポリシー違反になりうる気がしたので、自戒の念も込めて書いておこうと思った。

意味を歪めそうな考え方の流れ

  1. 「甘え」(他人を当てにする意味の方)が良くないと思っている(理由は、様々)
  2. 自分が一部それをやってしまっていることを自覚している
  3. 「甘え」の定義を拡大解釈&オリジナル化することで、それをポジティブに変換できる
  4. そして「甘え」をしても良いと、自己肯定に使うことができるようになる

では甘え(他人の好意を当てにし)ていいのかどうか

世間的には「甘えるな」は言った本人の自己肯定で使われているだけなので(自己責任論のように)、気にすること無さそう。

多分、気に障るポイントは、当てにするときの態度と当てにされた後の振る舞いなのだろうなぁ。

ネガティブになる要因について

「甘え」に対してネガティブになる要因としては、社会的に存在している意味の影響がでかい気がした。

自分の場合、比較的独立独歩を好む性格のためか、甘えという観念にフォーカスすることがなかったのだと思った。

あんまわかんないなぁ。

「甘えとは」

問題や定義をすり替えることによって、自己肯定を試みる様かしら。