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目標的な夢についての印象

2020-08-30 10:47:44

きらきらしたものという捉え方、ということを聞いた。

そういうビジョンを持って努力したり、楽しんだりするのは全く問題ないと思う。

自分の夢についての捉え方を話したところ、納得されなかったので、ちょっと困ってしまった(困ってはないが)。

せっかくなので、現時点での考えを整理してみる。

醒めるもの、見せられるもの

まず、人間が寝ているときにに見る夢は、寝ているときにみるものでもある。

同時に、そこから醒めるものセットになっている(そのまま永眠などを除く)。

また何かしらの直前の情報や今までの記憶が元になって、ある種強制的に見せられているともいえる。

もちろん夢には、ヒント的な何かはありそうだし、自然に見るならそれでいいんじゃないかと思う。

そんなわけで目標的な夢もおぼろげなものという認識でいる。

夢はすでにかなっているという視点

人が観測できるのはこの瞬間のみで、それも五感的な体感以外はない。

過去の出来事でも未来の出来事でも記憶の中で比較し、イメージを作り上げ、時には感情を感じている。

夢があるという言葉をを言い換えると、自分が思い描いたある状態がまずあって、その状態に対して、幸せや理想や良いだという自分が満足いくような情報をラベリングしている状態にある、と言える。

つまりは自分の知識(経験や感情的なイメージなども含む)がある条件を満たしている状態。ともいえる。

そしてそこまで変換すると夢や目標とわざわざ言わなくても、叶っているような状態も見えてくる。

例えば、息を吸ったり履いたりする、ごはんを食べるなど。

それらは、そういう風でただあるものだし、勝手に起こってはまた過ぎ去っていくものだと思っている。

こういう観点で捉えているため、夢というものに対して、わざわざ言語化していたり、他のあたり、どうも無理に入れ知恵されている印象や違和感のある様子と結びついているのかもしれない。

オートマチックデイズ

自分がいくら努力したと思って生きても、自分がいくら努力しなかった思って生きても、どうあがいても勝手にオートマティックに進んでいくだけである。

そして、そんなことは自分すら知ったことではない。

その捉え方に大して、悲観も楽観も特になく、ただそういうものなのである。

現もまた夢のようなものである。