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職場という表現に違和感を覚えた

2018-09-02 23:30:28

別にどうでもいい。

しかし、違和感を感じちゃったので仕方ない。

どう言った要素にそう感じたか、探索してみる。

違和感ポイント

職場の愚痴がセットになってくる。

職場に対するあーだこうだがある。

んで、ムカつくのは、その職場を選んだ能無しはお前なのに、それをあたかも偉そうな形で、ぐちぐち言っているところ。

また、

そこから抜け出すと生活のサイクルが壊れるくらいの財務状況です、というのを間接的にアピールしているようにも聞こえる。

箱の中で

「わたしが一番できる」だったり、「他の人はクソ」みたいに書いている例も多い。

それほど能力値が高いのであれば、ある程度お金が溜まってきた時点でさっさと退職して起業でもしたらいいんじゃないかとも思う。

結局、自分がどんだけ悪い環境にいるかというのを示して、わたしって頑張ってるよね。みたいに言いたがるのが人間のサガなのかなとも思う。

自分の観念を言語化すると

その生産性を他のところでも生かしたらいいんじゃないかなと思ったり思わなかったり。

加えて、本当にその職場がクソだと思うのであれば、詳細を書きまくったらいいのになと思う。

そうすれば、クソ会社は評判が悪くなり、その会社が潰れる一つの要因になり得るかもしれないので、間接的に社会貢献をしていることになる。

そして、自分が良質な会社に入ったり、いい感じに利益生み出せるビジネスモデル作って運用したりしたら、より世の中も良くなるんじゃないかなと思ってしまう。

とはいえ別にいい

まあ、そういった言動によってストレス発散しているというのであれば、それはそれでいいのだが、根本的な部分で意味不明だなとも思ってしまった。

もちろん、経験値が増えるだったり、何かの目標のための通過点として考えていたり、あとあとのプレシャスプレイのための準備だったりするのかもしれない。

2024/02/07追記

ので、一概にどうといえるものではないが、自分が持っている上記のような観念に対しての、対立という構図になっていたがために、過剰に反応したのだろう。

今は不思議と特にどうとも思っていない。どちらの観念も存在しうるからなのか、観念との同化が少なくなったからなのか。

実際のところはどうでもいいわけであるが、ある観念を強めに持つことで、別観念が対立的に生じる構造は、少し気をつけなければならない。

他の可能性をインスタントに唾棄することになりかねないためだし、自分が同じような境遇になったときに、対立していた観念のような状態にならないとも限らない。

そういったときどういった苦しみ方をするのだろうかね。

ただこういった観念を保有したような気持になってしまうのは「特定観念持つ者同士で集まったほうが生き残りやすい」というような、生き物としての人の戦略なのかもしれないとも、同時に思う。

観念保有のわかりやすいメリット・デメリットだとか、「保有と導出の感覚的違い」だとかもメモっておきたい気がしてきた。