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ちょっとした悲しみのあとのなるべくしてなる

2020-05-12 01:14:18

人と話してちょっと思ったのは

やはり根本的な思想が違うなというものである。したがって、そういった場に赴かなくてはならないときはちょっとした苦しみを味わうことになる それはそれで構わないし、それもすぐに過ぎ去っていく。

しかしながら、小さなずれも何度となく繰り返しているうちに、大きなずれに発展する。

結局自然な方に流れていくんだろうなと思いつつも、

物事は単純である。

許容する姿勢が許容を生み出し、、排除する姿勢が排除を生み出す。

というわけで毎回パターンは決まっている。それでいいのである。

それでも、わずかに一時的にではあるが、感傷的な気分になってしまうのであった。

メメント・モリ

結論は同じ

似たような出来ごとをリピートするうちに、またこのパターンか。と諦めを感じることがある。

人の思想は、基本的に変わることはないように思う。

一応は、自分のできる範囲内でそのときその場の最適を取る。

否定されるのを恐れているわけではなく、それが何も意味をなさなく、ただ互いに不快な気持ちになって終わるだけだからである。

実際のところは、そこに落とし込んでしまったら、

たとえばの亀裂

「のんき、どうでもいい、なんとでもなる、静観」というたぐいの思想。

ある人に、その思想の一部を伝達し、そぐわなかった時。

亀裂が生じる。

もちろんその思想はほんの一部で、他にもいろいろな便利な考え方が存在する。

自分自身は、その人との関係性に執着しているわけではない。別になるべくしてなるしかない。

しかし、彼には怒りが生じた。自分をおろそかにしていると。

こちら側がどう思っているかは、関係がなく。

その人にとってそうであるので、そうである。

結果的になるべくになるのであった。