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コンテンツとしてカテゴライズして「コンテンツ」とできる人たち

ある概念をこれとして、提供できる人達がいるが、そういう感じで物事をすすめるのがどうも苦手である。

常に分散的に考えているのか、飽きっぽいのか。

わかりやすく提供されるものたち

精神的ないろいろも、カテゴライズされてきた。 人文主義キュビズム、ダンディズム、自然派(ごちゃごちゃですが)

こうして、スッキリとまとめ上げられて提供されると、 なんとなくこういうものか、と納得してしまうこともある。

しかし、本当は、そうでもなく、その人の思想の一端が表現されているだけに過ぎない。

さて、それはともかく

前にちょっと違和感を感じたのは、

スキゾイドというキーワード。

「社会的に孤立していて、対人接触を好まず、感情の表出が乏しく、何事にも興味や関心が無いように見える」という性格特徴を表す言葉である。 また、本症は外界への興味、関心そのものが薄いという点で、対人恐怖症や回避性パーソナリティ障害とも異なるものである。 wikipediaより

自分にも当てはまるのでは?と思った時期もあった。

しかしながら、少し時間が立ち、そういった病に対する知識が適当に増えた段階でふと思った。

「この辺の精神疾病系、ある程度自分にも当てはまってる部分ある〜😇」

サイコパスADHDアスペルガー双極性障害 etc...

多分人生のどこかを切り取り、いくつかの条件が揃ったときに、なるんだと思うし、だからなんだかんは満載である。

「犬 凶暴です」

主張したら、どうということでもないが、主張・表明したがっている人はたくさんいるような気がする。

本能的に、そのほうが生きやすい、有利みたいなのがあるからかなと思っている。

ただ、主張の際に「骨折しちまった...」みたいな雰囲気と、ちょっと違うのがまたなんとも。

自宅に犬が、自分で「犬 凶暴です」と書くような心理状態にちょっと似てるのかと思いつつも、そうでもない気もする。

例えば、こんな動機

  • 似た性質の人が集まりやすい
  • その性質を嫌う人と距離を置くため
  • その性質を良しとする人の目に止まりやすい
  • アイデンティティーの強化による安心感の補充
  • 何も称号がな胃自分に、なにか称号を与えて、世間にどうしようもないのは、このせいである。と思ってもらいたい

「だから?」「対処法はいくらでもある」と悲しくも言えてしまうのがまた問題ではない問題なのかもしれない。

こういうところが、人生の経営判断なんだろうなと最近は、考えるのに疲れてしまうのであった。

さて、話を戻そう: カテゴライズしたコンテンツ化しない・できない理由

時間はあるが、意欲がないというのが正しいのかもしれない。

いや、それはつまり、今はそんなにありありとしたコンテンツ感あふれるものを作りたくない。

それは、言語化したら台無しになりそうな何かを感じているのかもしれない。

それをヨシとしてしまう気持ちがどこかにあるんだろうな。