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クソザコナメクジとは

悟られてはいけない概念

自我に「それ」を悟らせないように生きてきた。

だが久々に自分自身に「クソザコナメクジ」というレッテルを貼り付けた。

そして、それはただの言葉遊び、「錯覚」であることもわかっている。

それなのにまた、一時のあいだ精神的苦しみを感じた。

いや、ナメクジに失礼だ。とは思いつつも、今回は代名詞として使用させていただきたい。 ※軟弱感を表すための比喩表現であり、ナメクジはクソザコじゃないし、軟弱でもない。

拝金主義思想を取り入れた末路

資本主義と拝金主義と能力至上主義が知らぬ間に悪魔合体し、思想に影響していたように感じる。

実際のところはそれらは単なる主義であり、考え方の一つであることは重々承知している。

しかし、日々特にそれらの主義がある種の「幻影」であることを疑いなく生活していると、いつの間にか刷り込まれていく。

何が問題なのかを忘れてしまいそうになる。

自分の需要がないことを間接的に囁かれるのは結構こたえる。

だが、そういった解釈を積極的にしてしまう上、「気にする」のも自我の為せる技である。

気にした時点で相手都合のフィールドに入っていしまうこと、それを忘れていまいか。

苦しいか、いやそんなことはない。

脳死して俗っぽい写真を眺めていた。

具体的にどんな写真だったか忘れてしまった。だが、いかにも広告にできそうな写真である。

どんなだよって感じだが。

久しぶりに自我が社会に没入した風になった。

こっちのほうが生きやすいのか。唐突にそう思った。

何か簡単なものに誘導されるほうが生きやすいってなんとなくわかってる。

それでもそこから眼が醒めた瞬間、がっかり感にさいなまれそうになるのは間違いない。

一生その誘導された状態をキープできれば、幸せな気もする。

でもどこかに抵抗感や疑念が出てきて、結果的に苦しくなる。

焦っているときの没入感

勤めている会社の年次評価のアンケートの提出期限の一時間前にデータが全部消えてしまった。

書きようによっては給料にも影響してくるし、今後の自分のライフプランにも影響してくる。

そのときに、思い出したのは、数年かけて書き上げた辞書の原稿を捨てられた後、また8年かけて書きあげた人物の話。

なんとなく面白く思えた。ので、大丈夫。

そんなことを考えながら書いているうちに、提出期限を30秒過ぎてアンケート送信できました。やったね!