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幼い時の記憶を忘れがちらしい

発端

よく、赤子の話が出る時に、どうしたらいいかわからない的な話を聞くのだが、そんなことってあるのだろうか。

赤子が放つ情報量は結構なもので、きちんと会話するのであれば、問題なく話すことが可能なように思える。

赤子と話せないのは、生き物的な感性が鈍っているからのような気がしてしまうのであった。

異物感とエンタメ化

2歳以降くらいの気持ちは、断片的になんとなく覚えている。

そのへんのことを思い出せば、なんとなしに対応することも可能なんじゃないかなと思った。

必ず幼少期を通っているだったはずであり、生命体として同列であるにも関わらず、「異」とみなしているようで、

この「異」はちょっと違うような気がしたのであった。

「こどもが〜」というように、こどもをだしに使っている感じがやなのかしらん。

最近思うのは

自分自身、過去の記憶を結構な頻度で反芻しているようである。

ふと思い出し時に、あのときの心情の分析やらをする。

おそらく、物理的に対人関係が少ないが故に、コミュニケーションや心情の優良サンプルが自分自身だったことも影響しているかもしれない。

身近にサンプルと成る材料がなかったがために、自己に対して自己反芻する方式が発達してしまったのかなぁ。とも思った。

あの歌詞

「だれもが一度はこどもだったけど みんなわすれてる」

んなことあるか?僕はわすれないけどなと思っていた。

けど、そう思わなかった人もたくさんいるんだろうな。