ようやくマスターに到達した。
ほぼ2年(1年と11ヶ月)かかった。
FPS&ファーストパーソン系PCゲーほぼやったことないにしては、上出来なのではないだろうか。
運も実力の内
season17はマスター人口が15%くらいとなり、すべてのシーズンの中で、最もマスター到達が容易なシーズン。
今シーズンは「マスターの価値」がどうなんだとは言われるが、マスターはマスターであり、プレデターの一個前である。
他のシーズンだったらもう500時間くらいかかりそう。
わかったこと
始めた理由は、 - FPSがうまくないことで私の人格が評価された気がして、ムカついたから - FPSをゼロからはじめ、それなりにできるようになる過程(ランクで上位帯に行くことを目標とする)を観察し、他の物事に応用できるか考察する - 弟と一緒にやって、同じ過程を踏む(今までなんでも基本ソロでやっていたので「チーム」の研究
- それっぽい動機さえあれば、一つの対象に対して1年間で1000時間以上投入可能
- 向いているか・向いていないかは、ある程度プレイしないとわからないし、それまでの別の蓄積によって左右される
- 多分向いてないんじゃなくて、適切に動機づけされてない・何らかの理由で意識が向いてない
- 動作や目標を意識することも大事、とにかくやり続ける「勢い」も時には大事
- 他のことを一時的に1段階疎かにする覚悟がいる。いっぺんに意識できることって結構少ない
- 人と協力する場合は、「人と協力することにそれなりに長けている人」と関わる必要がある。そうじゃない場合は、教育から始めなければならなく更に手間がかかる。
- 協力に必要なプロトコルを随時更新して、共有する方がいいので、それができない人は、長い間協力するのは難しくなる
- 長く続けていると意地になる
- 長く続けている運で外から見たときに+な評価を得る(よく知っている人は大したことないとわかっても、端から見ればそれなりに見える現象)
- 協力が一番難しい(モチベーションの共有や情報共有、同じ視点の持ちにくさ、伝えにくさ)
- ユーザー体験大事
- 毎回のフィードバックと記録・改善大事(PDCAかよ)
- 基礎訓練大事
- 訓練設備大事だが、素朴な訓練設備でも工夫が大事(シーズン17訓練場楽しいが、以前も楽しめた)
- 腕への負荷がでかすぎ(健康との勝負)
- モニターや周辺機器も大事
- 多角的視点大事
- もうちょっとしっかりやるには、かなりコーチングに比率割かないとあかん
- 自分たちの利点と欠点の把握が大事(取れる戦略が大幅に変わる: 例: 自分らが雑魚すぎて戦闘勝てないので安置外ムーブせざるを得なくなる。のは嫌なので、戦闘訓練しまくるなどの改善(選択肢増やす(他キャラクター使えるようにするなど))のための選択肢も取るのも大事)
- 今まで使ってこなかった別の脳の分野を使ってきた気がした(瞬間的に選択肢を大量に出せる現象)
寓話
ばばあ「おじいちゃんは昔、Apexマスターだったのよ」
じじい「運が良かっただけさ」
こんな会話が成り立つのは、そういうことなんだと、実感できた。
コミュ力
様々なシチュエーションを場数を踏み意識すべきことを「意識」したから培われている気がする。
揺れゆく意思
続けているとだんだん当初の目的を失っていき、「眼前の敵を倒すこと」が目的となり、それに飲み込まれていく。
遊びだとわかっていても、キレることもあった。
初めたての思いは、ときどき消えかかる。
ふと初めた頃を思い出し、なにしてるんだろうと感じる。
それでも続けていく「意思」だけはなぜか残っていたと思う。
こういう執念も大事だが、これはかなり個人的特性によるものが大きいと思った。
そして、目的があったとしても囚われすぎてはいけないねぇ。
開放
なにはともあれ、もはや何でもできる気がする。
大体の物事は、訓練と継続に落とし込むことができる気がする。
となると、後は本人の趣向ということになる。
ので、「趣向」「意向」に対して、自他ともに厳しい人間が出来上がってしまったかもしれないし、出来上がってないかもしれない。
色々キレたりもして大変だったが、弟とたくさん遊べてよかったです。