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不可避の宣伝への嫌悪と情報過多による精神混濁

2023-06-24 16:07:53

最近の不可避の構造

twitterが広告宣伝ツールの性質をより帯び始めてから、SNSを一層ストレスに感じる。

投稿元がチラ見して忍び込ませた感情が良くも悪くも滲み出てくるせいか、なんとなく見てはいけないものを見てしまった気持ちになる。

これは、暗喩ではなく、察してくれみたいな人に対する嫌悪とも思った。

なぜ、嫌悪の気持が発生するかというと、

  1. ストレートに言わないため、読解に労力がかかること
  2. 意識的・無意識的問わず、操作的な性質が高まること
  3. 相手にするとつけあげる可能性があること

サブ気持ち(ある気持ちを構成する一つの要素の中でも大きめの観念とそれに伴う気持ちを切り取った表現)としては、

  • そういったやり方が成功したと思える意識を相手に与えうることに対してのやめた方がいい感
  • 相手も特定層をリーチさせようという糸があるために私はその特定層に該当しないので無視してもいいよな感

(これらもさらに分解できそうだが、盛りだくさんになるのでこの辺にしておく)

などがあり、

そして、そういった観念や感覚を元に瞬時に危険や不利益を被ると自我が察知して「嫌悪」という感情を発生させ、警戒心を持たせているのだろうと思った。

情報量が多すぎる弊害

現代は一個人が扱える以上の情報が環境的に溢れかえっていると思った。

たとえば、SNSや連絡ツールを介在して多種多様な人と関わるようになる。

仕事が増えてきたり、抱えるものが増えてきたりしたときに、自分の記憶や経験や癖が自分にとって悪い方向に上書きされて、気がおかしくなってくる気もする。

色んな人のポリシーや考え方で頭の中がごちゃつくと、部屋がとっちらかっているのと同じで、自分が踏みたくない轍を踏まざるを得なくなることが増える気がする。

そんで、ごちゃついている状態に「まあいいか」と思い始め、次第に諦めていったり、見て見ぬふりをするようになったりするのかもしれない。

特に、過去のミスやポリシー違反に対する自責の念なんかは、死なばもろとも感を加速させるような気がする。

盗っ人猛々しみたいなのや鬱のはじまりは、そういうところにもありそう。

というわけで、とりわけSNSや連絡ツールには気をつけなければと思った。